黒色 (くろいろ)
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 黒色 (くろいろ)
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日本人の色の認識は光からと以前にも書いたが、黒の語源はクラ「暗」あるいは「クリ」とも同源とされる。つまり、暗いことの「昏・くら」から転じて、「明・あか」に対する光の系列を言う。

黒は死や不幸あるいは不純、不正などのイメージを持ち「白」や「赤」の反対の否定的な意味を象徴する。

黒色の認識はいつ頃からであろうか。縄文期、土器を焼いているうちに煙が強くあたる所に煤が付着したり、竪穴式の洞窟や動物の皮で作った天幕の中で焚火をしながら食物の煮炊きや暖を取っているうちに、天井に煤がたまり、そこから黒い色素を得られる事から黒色を発見していったであろう。

色名としては飛鳥時代から使われるようになった。
603年冠位十二階に定められた色の尊卑の中では黒色と黄色は百姓や無官の人に限定され、位の低い色として扱われていた。

古代喪服は白色であったが中国の文化が輸入された時に喪服の色の記述の読み間違えてしまった。唐では「錫」は灰汁処理をした目の細かい麻布の白布の事だが、日本人は金属のスズと誤解して平安時代の貴族は喪に服する時は鈍色を着用した。平安後期には悲しみが増すほど喪服の色が黒くなった方が良いと思われ、色も濃くなっていった。以来現在に至るまで宮中では喪服は黒を着用しているが、庶民の間では明治維新になってヨーロッパの文化が入るまでは古代から喪服は白色であった。途中江戸時代に水色が使われたこともあったようだ。

黒色が好まれるようになるのは、江戸時代に入ってからであり、黒色の小袖の愛用は浮世草子にも見られる。
「四十八茶百鼠」とあるように、茶や黒の色彩が尊ばれ、わずかな色相の差に染屋が苦心していたかうかがい知れる。黒を染めるとき、藍で染色し五倍子のお歯黒鉄で黒く染め、黒色の中に藍の底色を見せる「藍下黒」やあらかじめ紅をかけて五倍子の鉄で染色し赤みを帯びた深みのある豊かな色彩「紅下黒」などが江戸時代に流行した。



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