黄色  (きいろ)
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 黄色  (きいろ)
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小学校1年生に上がるとしばらくの間はランドセルに黄色のビニールが覆われたり、黄色の帽子をかぶって登下校をするのは黄色という色がもっとも目立つ色であり、交通事故から身を守るために運転手に注意を促すためである。事実、日通のトラックが黄色にしてから、事故がかなり減少したという事が言われている。

では、やまとの彩としての黄色はどのようなものであったかと言うと古代日本人は黄色を色として認識していなかったと考えられている。古代日本人の色彩は光の感覚にあったようで、「明ー赤」「暗ー黒」「顕(しるし)−白(物事がはっきり区別できる、知ることができる)」「漠ー青(アフぐ、オふ)薄く明るい感じを表現する語」の4色からなっていた。

黄色は「赤」の範疇で「万葉集」にみえるモミジの多くは「黄葉」が当てられ、赤から黄色を含む幅の広い色合いを指していて、万葉人が黄色をどのように見ていたのかはよくは分からないのである。
太陽の光を受けて一番キラキラする色が黄色で光から色彩を認識していた古代人にとっては赤「明」の一部として捉えていたのはうなずける。

しかし黄色は古くから存在し「日本書紀」に黄色は一般庶民の衣服の色として使われていた事が記されているが、刈安や黄ハダなどややくすんだ黄色のようであった。黄丹(オレンジ色に近い赤みのある黄色)は皇太子の象徴色として禁色であった。また中国、インド、マレーシア、沖縄では黄色はロイヤルカラーとして一般の人は黄色の衣服を着ることが出来なかった。特に中国には三皇五帝という八人の聖人伝説があり、「黄帝コウテイ」という王はその中でも一番崇められ「黄色」は聖なる特権、皇帝の色とされていた。また五行思想でも「黄」は中央にあり植物の芽が地中から発芽する様子、万物を育成、保護する性質として「土」と関連し、思想的にも歴史的にも尊ばれていた事がうかがい知れる。

染料としての「黄色」はクチナシ、刈安、ヤマモモ。顔料としては黄土、藤黄、雌黄などが使われていた。




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