駿河巡り1
ホームフォトウォーク>駿河巡り1 前ページ次ページ

可睡ゆり園

遠州三山の一つである可睡斉は牡丹で有名な花の寺です。
そのお寺の東側の丘陵地帯に可睡ゆり園があります。
以前からこのゆり園に訪れたいと思いながらなかなか実現されませんでしたが、今回従兄弟の入院見舞いに帰省した折に足を伸ばしてみました。3万坪のこの地に150種200万球のゆりの花が咲き乱れます。
数字で言われてもなかなかピントきませんが、園内に入った瞬間、「ウァ〜凄い」とそれ以上の言葉が続かないほどその広大さに圧巻!色別に植えられている所、混色で植えられている所、ちょうど花の盛りに訪れる事ができた幸せに浸りながら散策する事ができました。

日本ほどユリの原種類の多い国はありませんが、このユリ園は残念ながらほとんどが園芸種でした。

ページトップ






加茂花菖蒲園(掛川市)

加茂荘という桃山時代より続く庄屋屋敷の門前に広がる花菖蒲園は広さは約2千坪ほどで、のどかな遠州の山里にあります。

1500品種100万株の花菖蒲が例年6月上旬から中旬にかけて最盛期になります。可睡ゆり園同様、花菖蒲の盛りの時に訪れる事ができました。
今では都心からバスツアーでこの花菖蒲を見に来る人が絶えないそうです。






ページトップ






蓬莱橋(島田市)




蓬莱橋

明治維新、徳川幕府が崩壊した事によって川越制度が崩壊し、島田金谷両宿の川越人足が大勢失業したり、駿府の徳川家の家臣の多くが路頭に迷う事になりました。その対策として勝海舟や山岡鉄舟の計らいで大井川右岸の牧の原台地をお茶畑として開墾し大勢の失業者が入植しました。急流の多い大井川を越して開拓地に行くのは大変な事で明治12年に架橋する事になりました。
この橋は長さ897.4メートル、幅2.7メートルと「世界一長い木造歩道橋」で平成9年にはギネスにも認定された橋ですが、増水の度にしばしば落橋の被害にあい昭和40年に橋脚だけはコンクリートになりました。

私が生まれ育った家から大井川は歩いて30分くらいの所に位置するでしょうか。
この川は私にとってたくさんの思い出が詰まっている場所の一つと言えます。

私が子供の頃、家にはジャーマンシェパードが3匹いました。その内の1匹「ちいこう」という頭の良いメス犬がおりました。この犬は訓練所でトレーニングを受け、人や子供に対しては大変従順でおとなしい犬でしたが動物には本能むき出しで、よその家のウサギを殺してしまったり、大井川の土手に縛られていたヤギを咬み殺してしまったり、猫を追いかけて靴屋に飛び込み尻尾でショウウインドウーのガラスを割ったりと話題の尽きない犬でした。父はよくこの犬を大井川に連れて行きました。石につばをつけその匂いを犬にかがせ、遠くまで投げて、その石を取って来させて遊んだものでした。また犬の体に石鹸をつけて、川に石を投げ、犬の体についた石鹸を川の水で洗い流すのでした。そして私が9歳か10歳の頃、愛犬「ちいこう」が死んだ時もゴザで包み、橋から投げ込み、チイコウを流し、自然に返したのもこの川でした。

昔大井川は急流で台風の時には洪水になり、よく床下浸水になりました。その度に少し離れた親戚に避難したものでした。大きな木が根こそぎ流さる濁流を川の土手まで父と一緒に見に行った記憶が、いまだに鮮明に脳裏に焼きついています。

私達はこの橋を「銭取り橋」と呼んでいました。今は100円の通行料を払いますが、子供の頃は10円か20円位だったと思います。昭和40年に橋脚がコンクリートになりましたが、私が小学校の時はまだそれ以前ですから、かなり橋は傷んでいて、歩くたびにギシギシと音がして所々穴のあいた橋板から下の川が見えたり、一部橋が壊れ川に浸かっている所もあり、橋を渡るのが大変恐かった思い出があります。
NHKの大河ドラマの撮影に使われて以来、すっかり綺麗な橋になり、遠くからもこの橋を訪れる人がいるそうです。










ページトップ






久能山東照宮(静岡市)

徳川家康の死後、2代目将軍秀忠により1617年に建立され、日光東照宮の原型となっているそうです。

日光よりは地味で規模も小さいですが、彫刻・模様・組物など、桃山時代の技法を取り入れた江戸初期の代表建築として明治45年国宝に指定されています。

50年ごとに社殿の総漆塗が塗り替えられるそうですが、昨年平成16年に塗り替えられたばかりとあって、想像していた以上に色が鮮やかで美しいと感激しました。
いたるところ葵の御紋があり、徳川家の繁栄ぶりが忍ばれ、しばしタイムスリップした思いでした。


家康の墓

1159段

ページトップ